ブックタイトル韮友会だより_2017
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韮友会だより_2017
16剣道中心に指導しました。63才の時には「韮崎市剣道スポーツ少年団」を立ち上げて、子ども達の指導も始めました。父は本来剣道をやりたかったので、本人も範士7段までなり、山梨県剣道連盟の会長を務めました。「韮崎市剣道スポーツ少年団」は、その後「嵐峰会剣道スポーツ少年団」という名称になり、現在も韮高OBの方々が中心になって、父の思いを継いで盛り立てて下さっていることに感謝の気持ちで一杯です。丁度父が退職した時に私が大学に入り、私は父の退職金で歯学部に行ったものですから、歯科医院を開業した時に「何かお礼をしたい」と言ったところ、「刀が欲しい」と言うので、関の方に注文して、真剣の新刀をプレゼントしました。*編集部注?範士とは平成12年に制度が変わるまで7段以上に取得資格がある3つの称号(教士、錬士、範士)の最高位。剣理に通暁、成熟し、識見卓越、かつ、人格徳操高潔なる者に与えられるとする。父は時間を使うことが上手な人で、忙しい中でも趣味は沢山ありました。菊や松の盆栽に凝ったこともありましたし、カナリアを飼っていた時は竹ひごで籠を20個も30個も作りました。篆刻もかなりのもので、彫った物は、大きいのやら小さいのやらが、今も沢山韮崎の家にあります。凝り出すと必要以上に集中して頑張るのです。年賀状は筆で書いて、その年用に彫った印を押し、朱肉が乾くまで8畳間いっぱいに広げて、こんなに書いたと満足げでした。書道も好きで、日本画も描いています。料理も得意で、暮れに郷里の村上から塩鮭が届くと、鼻先を薄く切って酢漬けにした「氷頭」を、正月用に自分で作っていました。父はこの氷頭が大好きで、こんなところに父の望郷の念を感じました。父は韮崎高校ばかりにいて、転勤しなかったので教頭にも校長にもなりませんでした。校長にしたいと熱心に運動してくれる人達がいて、1年間韮崎高校と甲府工業高校を兼務したことがありますが、これはたいした経歴にはなりませんでした。せめて教頭にしたいと、一時父と同時期に柔道を教えていた金丸信さんに頼んでくれた人もいましたが、やはり転勤歴が無いことがネックになり、立ち消えになりました。ただ、父の心は常に韮崎高校にあったので、移動を断り昇進しなかったことを悔いてはいませんでした。父は平成元年に満84才で亡くなりました。実質的に昭和が始まった昭和2年に韮崎に来て、昭和の終わりを見届けたように亡くなりました。母も12年後に亡くなりました。亡くなって何年も経ち、もう忘れられてもいい頃ですが、今でもまだ父のことをこのように取り挙げてもらえて、父は幸せに思っていることでしょう。父は韮崎高校のサッカーのことは常に気にかけていました。そして、自分は沢山の人達に支えられてきたと、よく話していました。韮崎高校関係者の公私に渡る援助を受け、OBにもバックアップしてもらい、皆さんに岩?鋭市郎という人間を作ってもらったと言っていました。そして、父だけでなく岩?家も皆さんに支えられて来ました。この機会に私から、これまで父と岩?家に寄せて頂いた皆様のご支援に心からなるお礼を申し上げます。本当に有難うございました。大村先生のノーベル賞受賞で今になって韮崎高校の大きさを知りました。韮崎高校には大村先生があのようになる気風があったのですね。八ヶ岳おろしに耐え、水害にも負けず頑張る韮崎高校を、県外にいても応援しています。